オーストラリア辞典
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Curr, Edward Micklethwaite

カー、エドワード・ミクルスウェイト


1820-1889
ホバートタウン、タスマニア生まれ。
大牧場主、作家。


 彼は、1820年12月25日に商人であり大土地所有者であったエドワード・カーの長男として生まれた。イングランドにあったストニーハースト大学で教育を受ける。1839年にタスマニア北西端にあるサーキュラーヘッドへ向かい、同じ年に、彼は父と一緒にメルボルンを訪れている。1840年に父がヴィクトリアに大牧場を買うと、彼はその一部を運営する。彼の運営する西部ゴルバーン・ヴァレー牧場が、アボリジナルの居住地域にあったことをきっかけに、彼はアボリジナルに好感を持ち、彼らの生活に強い興味を抱くことになった。後に、アボリジナルや牧場主としての生活について記した『ヴィクトリアの牧畜業の思い出』Recollections of Squatting in Victoriaという本を出版した。

 また、オーストラリアの先住民について記した『オーストラリアの人種』The Australian Raceという本も出版している。アボリジナルの詳細な観察を基に書かれており、たいまつ農法やヨーロッパ人の定住によって彼らの文化や人口がどのように変化したのかといったことが克明に描かれている。現在、この本はグーテンベルク・プロジェクトによってネット上で見ることができる。

 父の死後、彼は大牧場を売り払い、2人の弟と一緒にヨーロッパ・中東を巡る旅に出る。この経験が、後に出版される『馬上にて』Pure Saddle Horsesという本の骨格を成した。1854年には結婚し、最終的に5人の息子と3人の娘に恵まれる。

 同じ年、彼はヴィクトリアに戻ってくる。しかし、当時巻き起こっていたゴールドラッシュの喧騒に嫌気がさし、1か月しかメルボルンに滞在せず、ニュージーランドへ向かった。そこでは、馬を輸入したり、土地の問題に関する記事を書いたりしていた。1856年-1861年の期間には、牧場主生活に戻るも、成功しなかった。1862年になると、彼は羊の検査官として再びヴィクトリアに戻る。1864年に検査官の長官に任命されると、1872年に口蹄疫と疥癬の撲滅において主導的な立場を担った。彼はこの経験も、『羊がかかる疥癬についての論稿』An Essay on Scab in sheepという本として出版している。

 1889年8月3日に彼は亡くなった。西部ゴルバーン・ヴァレーでの牧場生活とヴィクトリアのアボリジナルについて記した本は高く評価されている。また、初期ヴィクトリアについて知ることができる史料としても、重要視されている。

 駒橋大輔1115