オーストラリア辞典
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Cadell, Francis

カデル、フランシス


1822-1879
コッケンジー、スコットランド生まれ。
探検家、起業家。


 1822年、鉱山経営者かつ船主であったヒュー・フランシス・カデルの第2子として生まれる。幼少期には、エディンバラとドイツ北西部のククスハーフェンCuxhavenで学んだ。1836年にイギリス東インド会社に入り、1839年に中国、1844年にヨーロッパや南アメリカ大陸の港を訪れた。また、1846年にはグラスゴーにあったロバート・ネイピア・アンド・サンズRobert Napier & Sonsの工場で1年間、造船と蒸気機関について学んだ。1849年、スコットランドで新たな船を建造し、1852年2月にシドニー、メルボルン、アデレイドを訪れた。

 1852年から、カデルはマリー川での蒸気船航行事業の確立を目指した。カデルは、代理人や立法評議会議員のウィリアム・ヤングハズバンドWilliam Younghusbandとともに南オーストラリア政府と交渉し、マリー川やダーリング川を探検した成果に応じて政府から報酬を受け取ることができるようになった。さらに同年、カデルはシドニーで木造蒸気船を建造し、マリー川をスワン・ヒルからアレキサンドリア湖まで下った。

 1853年8月、カデルは南オーストラリア副総督のヘンリー・ヤングHenry Youngらとともにマリー川上流へと航行した。一行は9月17日にスワン・ヒルに到達した。この探検の功績が認められ、カデルは政府からメダルを贈られた。1854年に、カデルはマレー川交通会社the River Murray Navigation Co.を立ち上げた。またこの頃、カデルはマリー川やマランビジー川の倒木除去事業を始め、1857年、南オーストラリア政府から倒木除去のための船の建造を委託された。1857年にマリー川交通社は解散したが、キャデルは河川探検を続け、1859年1月には南オーストラリア総督のグラビス・マクドネルGraves MacDonnellとともにマランビジー川上流を探検した。

 1864年、カデルはニュージーランド政府の要請で、マオリ戦争下のワイカトリ川で蒸気機関交通を監督した。この年以降、キャデルはオーストラリア以外の地域での商業活動にも力を入れるようになった。

 1879年、カデルはカイ諸島Kei Islandsで死去した。57歳であった。

 齊藤丈晃1115