オーストラリア辞典
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Murray River

マリー川



 マリー川は、オーストラリア・アルプス山脈に源を発し、北西方向に流れたのち、南に曲がってオーストラリア南側の海に注ぎ込む。この川に命名したのはチャールズ・スタートであるが、彼は1830年、この川の流路のマランビジー川との合流点を確認後、イギリスの植民地大臣ジョージ・マリーの名にちなんで名付けた。その6年前にあたる1824年にはハミルトン・ヒュームとウィリアム・ホヴェルが川を探検し、ポート・フィリップまで探検し、川にヒュームの名を付けていた。1836年からマリー川は植民区画であるポート・フィリップ地区の北側の境界と定められ、1851年にはニューサウスウェルズ植民地とヴィクトリア植民地の境界となった。シドニー~メルボルン間の主な経路はオールベリーでマリー川を通り、現在のヒューム・ハイウェイに相当する道に続いていた。

 マリー川はリヴェリナ及び北部ヴィクトリアの植民と密接に関係していた。エチューカの港町は1864年から鉄道でメルボルンに通じており、外輪式蒸気船による川の輸送事業の中心を担っていた。ナンシー・ケイトーのAll the Rivers Runという三部作に描かれた河川輸送時代の物語は、エチューカの地域の歴史を伝えるものであり、観光産業の主ともなった。マリー川の歴史的記述にはアラン・モーリスの川船の研究書、Rich River(1953年)やG. W. ブロートンのMen of the Murray(1966年)などがある。

 現在4州にまたがるマリー・ダーリング川流域は、19世紀以降、オーストラリアの最も重要な農業地域である。また、境界周辺の住民は、連邦体制成立に積極的に賛成し、連邦運動の発展に貢献した。19世紀後半に行われた灌漑計画はこの地域の生産性を増大させたが、現在は川の塩度の上昇が主要な問題となっている。

 松井文音1115