Randell, William Richard
ランデル、ウィリアム・リチャード
1824-1911
イギリス、デヴォン州シドべリー生まれ。
汽船オーナー、政治家。
ウィリアム・リチャード・ランデルは1824年5月2日にイギリスのデヴォン州シドブリーで、父ウィリアム・ビーヴィス・ランデルと母メアリー・アンの長男として生を受けた。彼は家族とともに南オーストラリアに向けて出発し1837年10月20日にグレネルグに到着した。
イギリスのエクセター、続いてアデレイドで教育を受け、ランデルはのちにマリー川の土手沿いの土地を手に入れた。そこで牛の世話をしているときに彼は「マリー川に蒸気船を浮かべる最初の男になると固く決心」した。兄弟のジョンとともに彼は父親が保有していた小麦の製粉所を賃借した。1852年にゴールドラッシュの兆しが見えると、彼は今こそ蒸気船建造に着手する時だ、と考えた。17メートルの船体は1853年2月に完成し、3月には蒸気船メアリー・アン号は試走に成功した。費用は約1800ポンドに達した。3月25日にはランデル自身による最初の航海が開始されたが、ボニー湖の水位の低さにより、マナムMannumへと引き返さざるを得なかった。8月25日に彼は12トンの荷物を積み再び航海を行った。この航海では、スワン・ヒル付近において副総督のサー・ヘンリー・ヤングを乗せた、フランシス・カデルFrancis Cadellのレディ・オーガスタ号Lady Augustaに追い抜かれた。ランデルはさらに遡航を続け、ニューサウスウェールズのメイドンズ・パントMaiden’s Puntまでたどり着いた。その功績をたたえ、南オーストラリア政府は300ポンドの賞金を彼に与えた。さらに、ランデルが十分に報酬を与えられていないと感じた人々により、のちに400ポンドと感謝状が贈られた。
1854年にランデルはメアリー・アン号を23メートルまで拡大し、さらにその翌年、新たな船体を取り付け、二つの船体の間に外輪を設置し、新たにジェミニ号と名付けた。この蒸気船にのり、彼はマランビジー川をさかのぼり、ヘイHayまでたどり着いた。またのちにはダーリング川をさかのぼり、海から3056キロ離れたウォルゲットWalgettまでたどり着いている。
ランデルは政治家としても活躍しており、1893-96年と1896-99年の二期にわたって下院でガメラチャGumeracha代表を務めている。彼は水保全や灌漑、女性の参政権などに賛成し、保護貿易や税制改正に反対した。
1910年に、ノース・アデレイドに居を移し、1911年3月4日に没した。
後藤貴洋1115