オーストラリア辞典
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Cattle

畜牛



 畜牛は、最初の移民船団とともにオーストラリアに入り、すぐにオーストラリアの気候に適応した。畜牛の適応能力の高さやたくましさ、移動の利便性は初期の移民の生活を助けた。畜牛は飼料を与えることで、肉・革・ミルクなどのものを提供した。また、畜牛は非生産的でかつ遠隔地というような恵まれない環境でも、移民にある程度の生活を保障してくれた。さらに畜牛は、羊にとっては厳しい環境にも適応できたため、地主たちも、次第に畜牛の飼育に移行せざるを得なかった。

 1880年代、冷凍技術が実用化されたことで、畜牛は食肉加工されて海外市場に輸出されるようになった。牛肉の海外輸出は畜産業の基礎を固めたが、牛肉の市場価格の不安定さは畜産業の構造的な問題であり続けた。こうした時代背景もあり、畜産業ではコストカット志向が高まった。質よりも量の重視は、利益をもたらす畜産業の特徴となり、シドニー・キッドマンSidney Kidman のような大畜産家も現れた。オーストラリアの遠隔な地域では、大畜産家が運営する大規模牧場が、遠隔地の負担や地域インフラの欠如といった課題に適応する方法として存在し続けていた。そのような大規模牧場なかには、広さが1万6000平方キロメートルあり、繁忙期には6万頭の畜牛と40人の従業員がいるものもある。

 19世紀末に鉄道が取って代わるまで、オーストラリアの歴史のほとんどで、畜牛は陸路の積み荷の輸送に特に重要な役割を果たした。また、畜牛をそのまま市場まで移動させることもあった。このような数週間、あるいは数か月を要する移動の過程で、ストック・ルートなどの未開の道が開かれた。20世紀には鉄道や車を使って畜牛を運ぶ方法が主流になったが、20世紀末までこうした方法は続いた。

 畜牛産業は、技術や市場の変化に適応し続けている。牧場の進化が、品種改良や集中的なフィードロッド農法を拡大させている一方で、北部の遠隔地域では生きた畜牛を主にイスラーム圏の市場に輸出するやり方への依存度を高めている。

 齊藤丈晃1215