Club
クラブ
懇親、あるいは個別の目的のために作られるが、両方兼ねることもある。
イギリスで18世紀に流行した。職人・労働者のものは、葬祭や病気の時の互助組織でもあり、集会場の建設に大きな役割を果たした。オーストラリアでは、シドニーに1838年設立されたThe Oddfellows Lodgeが最初の組織である。労働者にとっては様々な便宜を図れるクラブ、特にその集会場は労働組合より重要なものであった。工業学校Mechanics Instituteを併設したものもあった。
より高い階層向けのGentlemen’s Clubは、オーストラリアでは流刑植民地時代に、士官の会食施設として始まった。初期のメンバーは士官・土地保有者・専門職や商業従事者らで、閉鎖的な会員制に特徴があり、宗教、民族的背景など時代や場所によってさまざまな入会制限があった。メルボルン・クラブやアデレイド・クラブなどは、社会的影響力を誇り、これを模した労働者階級向けのクラブが作られたりした。政治的な傾向を帯びるものがある一方で、シドニーのオーストラリアン・クラブとメルボルン・クラブ(設立1838年)は商業活動拡大の波に乗り、ボヘミアン・クラブ同1875年)は夏のクリケットと冬の音楽演奏を主な活動とするなど、その性格は様々であった。
女性向けクラブは男性のものより遅れて誕生した。大学関係者によるものが多く、知的サークルとして発足したカラカッタ・クラブKarrakatta Club(パース、1894年)、大学内組織として始まったプリンセス・アイダ・クラブ(メルボルン、1888年)などがある。また、ジェントルメンズ・クラブのメンバーに対応するような、「レディ」であることが会員要件になるクラブも多かった。
スポーツクラブは19世紀になってから登場した。ジェントルマンたちによる閉鎖的な狩猟クラブや、タッタソルズ(シドニー1858年、アデレイド1870年)などの競馬クラブがその始まりである。労働者たちのスポーツも盛んで、シドニーでは組合Unionと連盟Leagueにそれぞれラグビークラブが作られ、メルボルンではボート競技のクラブが出来た。
19世紀末までに、オーストラリアの社会では至る所にクラブができ、なかにはパブに属するもの、教会が組織するものもあった。競馬、クリケット、ボウリングなど、様々な規模のスポーツクラブがあらゆる地方都市に設立され、特にサッカー(小規模ながらクリケットも)は、都市と郊外を結びつける役割を果たした。
20世紀になると、自転車、自動車、サーフィンといった新しいスポーツが紹介され、それを楽しむクラブが新しく出来た。19世紀に盛んだった慈善活動を引き継ぐクラブも登場し、1921年にシドニーとメルボルンに設立されたロータリーや、第一次大戦後にできたレガシー、第2次大戦後のライオンズがその代表である。女性活動団体や、クラブのネットワークを形成し政治的な影響力を持ったRSLなども現れた。
オーストラリアの移民社会も、クラブの母体となった。最初イタリア移民、ドイツ移民によるクラブが数多く結成されたが、第一次大戦中には姿を消した。20世紀中葉には移民の増加によって、カラブリア(イタリア南部)、リトアニアなど多くの民族クラブが登場した。スポーツ活動にもこうした民族性は反映された。
友愛協会が相互扶助基金になったように、クラブもまたビジネス化する傾向を持っている。たとえば、自動車愛好団体はすぐにサービスと保険を目的とするものに変わってしまった。閉鎖的だった組織も門戸開放を強いられ、クラブ自体が経済団体に寄贈されるケースも出てきた。スポーツ観戦を目的としたものは、テレビの登場を経て、全国的なファン組織に発展した。
森千里1215