オーストラリア辞典
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Dead heart

デッド・ハート



 デッド・ハートは、オーストラリア大陸の乾燥した中央部を、口語的に称していう言葉である。

 当初は、オーストラリアの中央部を流れる川が流入する塩湖、エア湖Lake Eyre周辺のみを指していた。1901~02年、メルボルン大学の教授グレゴリーJ.W. Gregoryが、学生を連れてシンプソン砂漠Simpson Desertの北端までエア湖を横断した。1906年に彼はこの地域について、『オーストラリアのデッド・ハート』The Dead Heart of Australiaと題した書物を出版した。乾燥した中央部は、オーストラリアの肥沃な土地を夢見ていた多くの人びとの気持ちを嘲るようであり、エア湖の期待を抱いていた住民の落胆の感情をうまく言い表していたため、このフレーズはたちまち広く使われるようになった。

 しかし、この用語は批判を受けることもあった。1935年に自然学者フィンレイソンH.H. Finlaysonがベストセラーとなった『赤の中心』The Red Centre: Man and Beast in the Heart of Australiaを発表し、人びとはシンプソン砂漠のデッド・ハートと呼ばれる地帯は、動植物、人間社会の豊かな中心地であったのだと納得した。さらに、大規模な灌漑を支持する多くの人びとは、「死んだ」「砂漠」という言い方を非愛国的として非難した。楽観論者たちにとって中央オーストラリアは、灌漑技術によって青々とした庭となるはずの土地であった。この考え方は1930、40年代に一般的で、とくに雑誌Walkaboutに関わるライターたちの間でさかんだった。

 1950年、人気のあるブッシュのジャーナリスト、ジョージ・フォーウェルGeorge Farwellが、「グレゴリーはデッド・ハートをエア湖のみを指す言葉としているにもかかわらず、今やまるで大陸全体を表しているかのように使われている」と批判した。彼の警告にも関わらず、現在でもこの用語は広義に使われている。

 ただ1960年初頭になって、中央オーストラリアのシンボルがエア湖からエアーズ・ロックに移るようになり、デッド・ハートという用語は注目を集めなくなった。その後エアーズ・ロックが巡礼の地ウールルーUluruとして伝えられ、同時に、オーストラリア大陸は保護と尊敬に値する、神秘的で自然豊かな土地と認識されるようになった。

 林恵1512