オーストラリア辞典
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Boat people

ボート・ピープル



 ボート・ピープルとは海路で自国から亡命したヴェトナム人難民に対して、1970年代にはじめて用いられた言葉である。彼らの多くはオーストラリアにたどり着いた。1975年にヴェトナム共和国の首都サイゴンが陥落し、北ヴェトナムと南ヴェトナムが共産主義政権の下で再統一された後、多くのヴェトナム人が追放されたり、迫害の対象となったりした。彼らは水上での病気や食料、水の不足に耐えた。またボート・ピープルの多くが海賊によって家族が殺害される様を目撃している。

 最初のボート・ピープルは1976年にダーウィンにたどり着いた。小さくみすぼらしい船に人が密集して乗っている、という見慣れない光景はオーストラリアのテレビ視聴者に衝撃を与えた。さらにボート・ピープルがやってくるようになると、それにより人種差別主義者たちの感情に火がつき、かれらは「オーストラリアにアジア人がおしよせてくる」と主張した。難民の到来は1980年代後半や1990年代初頭まで続いた。彼らは戦争で引き裂かれたカンボジアや、一部は中国からやってきた。彼らの難民としての立場には賛否両論あり、入国を拒否される難民の数は増加していった。

 現在もボート・ピープルの到来は、オーストラリアにとって重要な政治的問題であり、ボートに乗ってきた難民をオーストラリア外で処理するという政策が採用されている。

 後藤貴洋1507