Cemeteries
墓地
墓地は最初、イングランドにおいては村の埋葬用の土地に設置され、しばしば小さく、過密しており、整備も行き届いていなかった。例えば、ニューサウスウェールズ、ウィンザーのフランシス・グリーンウェイFrancis Greenway設計の聖マタイ教会の墓地など、ニューサウスウェールズやタスマニアの初期の墓地がこの様式を反映している。1830年代から漸進的に、イギリス人建築家ルーデンJ.C.Loudonや庭園墓地運動に影響されて、墓地は快適さを確保する設計によって、公衆衛生と道徳的規準の両方の目的を満たす秩序ある公共の空間として計画されるようになった。ヴィクトリアの墓地の設計は、アルバート・パーチェスAlbert Purchasのメルボルン総合墓地the Melbourne General Cemetery(1852)の設計に影響を受けた。埋葬区画は整然とした配置で構成されており、しばしば主要な4宗派のカトリック、イングランド国教会、プレズビタリアン、メソジストが四等分しており、少数の宗派はより小さな部分に収まっている。墓地は高度に設計された景観になり、曲がった小道や芝生、並木道、独立樹、落ち着いた雰囲気の花壇で満たされ、噴水やゴシック調の雨宿り場所、礼拝堂でしばしば飾られていた。富裕層は精巧に作られた彫刻や柵に囲まれた墓を19世紀半ばからじょじょに建てるようになった。おそらくもっとも壮観な墓地は、太平洋を見下ろせる崖の上に配置されたシドニー近くのウェイヴァリー墓地Waverley Cemeteryだろう。家系や先祖伝来のものへの関心が深まることで、研究のための墓地記録などの整備が進んでいる。有用な情報源としては、オーストラリア(ヴィクトリア)・ナショナルトラスト、『墓地:私たちの遺産』Cemeteries: Our Heritage(1992)、南オーストラリアのものでは、ロバート・ニコルRobert Nicolの『道の終わりで』At the End of the Road(1994)がある。
中村侑平1507