Captivity narratives
捕われの物語
捕われの物語とは、非ヨーロッパの人々によって抑留された、もしくはそのような人々のもとに在留したヨーロッパ人に関する物語のことである。
18世紀までに、捕われ(そして生還)の物語は、北米におけるインディアンとの戦いで白人がインディアンに誘拐される話を指すことが多かった。19世紀になると、さまざまな植民地における白人の「捕われ」に関する物語は、より空想的、形式的になり、オーストラリアを含む英語圏において広く出版されるようになる。そうした物語は、ヨーロッパ的視点で描かれ、白人の帝国主義的なイデオロギーや非白人に対する文化的な優越性が表れていた。
しかし、オーストラリアでは北米と状況が異なっており、先住民が人質として白人を捕えることはなかった。彼らは逃亡した囚人や探検家、そして難破船の乗組員の救助者としての役割を果たしていた。むしろオーストラリアで強制的な誘拐を行っていたのは白人の方で、彼らは案内人や通訳、労働者、奉公人、そして性的なパートナーとして先住民を連れ去った。
植民地政府は、「捕われた」人を、文化交流における仲介役として貴重だと認識していた。例えば、逃亡した囚人のウィリアム・バックリーWilliam Buckleyは、ポートフィリップ地区Port Phillip Districtで1803年から1835年の間、先住民の助けによって生きていた。彼は元の社会に戻った後に赦免され、政府の通訳となった。彼の先住民に関する知識は先住民と交流する際に利用された。
捕われの物語は人種的、性的な側面も有していた。先住民との闘争が激しかった時期には、白人、特に女性が先住民によって捕えられたといううわさがしばしば流れた。入植者たちは人種間の性的な関係や異人種混合を恐れており、物語にそうした心情が反映されていた。
捕われと生還の物語は、大戦中のオーストラリア人捕虜の経験とも関係がある。こうした記憶は白人の優越性と結びつけられ、トルコ(第1次世界大戦)や日本(第2次世界大戦)の野蛮さが強調された。
1990年代になると、捕われの物語は、脱植民地主義の視点で、カルチュラル・スタディーズの研究者により、大いに注目されるようになった。
藤川沙海1507