Advertiser, The
『アドヴァタイザー』紙
『アドヴァタイザー』紙
1858年7月12日にアデレードで、会衆派の牧師ジョン・ヘンリー・バロウ John Henry Barrowによって創刊された。『アドヴァタイザー」紙は1889年まで、『ザ・サウス・オーストラリアン・アドヴァタイザー』 The South Australian Advertiserとして刊行されており、進歩的で政治的にリベラルな傾向を持つ新聞だった。創刊号では、自主独立、自由主義、普遍主義を掲げた。同紙は断固とした保護貿易論者の立場をとっていて、これは保守的な『レジスター」紙 Resisterの立場と食い違っていた。この状況はメルボルンにおける『エイジ』紙 Ageと『アーガス』紙 Argusの対立と類似していた。『アドヴァタイザー』紙と『レジスター』紙のライバル関係は激しく、長期にわたって新聞の社説で競い合った。
もっとも長く同紙の仕事をしたJ.L.ボニソン J.L.(Langdon) Bonythonは、1864年に16歳で若手記者として同紙で働き始め、1879年に共同経営者に、1893年には単独経営者と編集者とになった。ボニソンの一家と同紙とのつながりは、息子と孫の代まで続いた。
1929年、ロイド・デュマ Lloyd Dumasの会長任期中に、会社は、有限会社アドヴァタイザー・ニュースペーパーズ Advertiser Newspapers Limitedという、有限会社ヘラルド・アンド・ウィークリー・タイムズ Herald & Weekly Times Ltdの系列会社に移行した。また1931年に『レジスター』紙と合併し、事実上、州で唯一の朝刊紙となった。ルパート・マードック Rupert Murdochはニューズ・コーポレーション News Corporationがヘラルド・アンド・ウィークリー・タイムズの管理権を得たときに同紙を取得し、1997年にそれをタブロイド版新聞に変えた。
陳怜美1507