Mondalmi
モンダルミ
c. 1910-1969
アーネムランド、サウス・ゴールバーン島生まれ。
マウン族のアボリジニ女性。
モンダルミは1910年頃、父メイバーンMayjburnと母ンガルミジャルワーンNgalmiyjalwarnの間に生まれる。父メイバーンはナマコの採集者であった。彼女にはンガルウブブル Ngalwububul(「小さい人」という意味)というニックネームがあり、省略してブブ Bubuと呼ばれたりしていた。
彼女は海辺に住む「海の民」として非常に誇りを持っていた。彼女「海の民」は東海岸に住む人々に比べて長い期間、外国人の激しい侵入があったにもかかわらず、自らのアボリジナルの言語を維持し、伝統の一部も保持し続けた。彼女はマウン語に加え、イワジャ語 Yiwadja、グンバラング語 Gunbalangを話し、グンヴィンッグ語 Gunwingguを理解したという。
子供時代、彼女は白人と接触し、メソジスト教会のミッションに連れて行かれた。彼女はそこで英語の読み書きを学び、上記の言語に加えて英語も話すことができるようになった。また、メソジスト教会でオーストラリア先住民宣教師のガダワーGadawar (c.1906-1971)と結婚をし、7人の息子と2人の娘を産んだ。結婚後もマウン族の習慣に従って彼女は名前を変えず、可能な限りマウン族の伝統に従って子供たちを育てた。
しかし子育てを行う中で、白人の存在が長老たちによる伝統の伝承を途絶えさせていることを残念に思うようになった。
彼女と夫はミッションの中核にあって活躍した。ミッションは避難所やアボリジナルと白人の媒介であるだけではなく、つまり最良の先住民文化を保存する場であるだけではなく、侵略する社会の一部でもあった。また、彼女はコメンテーターでもあり、1947年からマウン族の生活や文化などの記事を思慮深く、時には批判的に人類学者キャサリン・バーントに伝えるように努めた。その内容は神話やハンドサイン、薬など非常に多岐に渡っていた。
このようにアボリジナルと白人の和解に努力を重ねてきたモンダルミであったが、1964年までに両者の関係に対して段々と幻滅していった。それでもなお、彼女はマウン族の女性として世界における自らの立場に自信や誇りを持っていた。1969年、彼女はガンで亡くなり、ゴールバーン島で埋葬された。
松平桃子1506