Kay, Margaret
ケイ、マーガレット
c.1904-1967
ブロードウォーター、ニューサウスウェールズ、オーストラリア。
先住民の遺跡保護。
ケイは先住民の母を持ち、先住民の血を引いていることを誇りとして生きた。彼女は先住民が男子の成人の儀式で用いた土地を保護する活動を行った。当時はまだ、先住民の文化的に重要な遺跡を保存することが珍しかった時代であったが、郡の議会から承認を得ることができた。
ケイはおよそ1904年にニューサウスウェールズ州にあるリッチモンド・リヴァーのブロードウォーターで生まれた。父親のジャック・ケイJack Kayは肉屋をしており、母親のアリス・キングAlice KingはバンジャラングBundjalungと呼ばれる先住民の中のミンジュングバルMinjungbal族出身であった。ケイは10歳の時、兄のジミーJimmyとともに、先住民保護法の下でパラマッタにある裕福な家に送られることになる。これは先住民保護政策の一環であった。先住民保護政策とは、20世紀前半に行われた「純血」の先住民を隔離し保護すると同時に、「混血」の先住民を一般社会に拡散・同化させようとした政策である。先住民を教育し、同化させるという目的のために「混血」の子供は家族から引き離され、施設に収容されることもあった。1918年までに、ケイはサマーヒルSummer Hillでジェームズ・レノックス・アーサーJames Lennox Arthurの家族に召使として雇われる。彼女は環境が変わっても先住民との関係を保持していた。1948年にアーサー夫人が亡くなった際、50ポンドを遺贈され、1950年代の終わりには召使をやめた。
ケイは絵を書くことが非常に好きで、多くの色の砂をボトルに何層にも重ねることで繊細な砂絵を作成することもあった。また、彼女は裁縫や編み物の才能も持ち合わせていた。彼女は先住民の出自を誇りにしており、地方の歴史協会に参加し、先住民の文化を保護する決心をした。彼女の評判が広まったことで、彼女は自宅の玄関部分を先住民博物館に変え、さまざまな展示を行った。
ケイは兄から先住民の男子成人式に使用された土地の保護を引き受けることになる。彼女は親戚に土地を見せてもらったが、盛り土は崩れており、儀式に使われていた時の形態を留めていなかった。彼女はその土地を修復し、1961年にはトゥイード郡庁から歴史的な場所として保護することへの承認を受ける。当時、先住民の文化的重要物として土地を保護することは珍しいことだった。
トゥイードヘッズでの晩年、ケイは有名になったが、高血圧と糖尿病に苦しんだ末、感染型肺炎にかかり、1967年の11月5日に亡くなった。ロワー・トゥイード・リヴァー歴史協会に彼女のコレクションは保存されている。また、彼女の作品はミンジュングバル資料博物館及びスタディセンターMinjungbal Resource Museum and Study Centreで保管されている。
藤川沙海1506