オーストラリア辞典
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Rawlings, William Reginald

ローリングズ、ウィリアム・レジナルド


c.1890‐1918
ヴィクトリアのパーニムに生まれる。
アボリジナルの兵士


 ウィリアム・レジナルド・ローリングズWilliam Reginald Rawlingsは、長らくアボリジナルの土地権のため戦った父をもつ、オーストラリア軍のアボリジナル兵士として軍功を知られている若者である。

 彼は1890年9月にヴィクトリアのパーニムで、ウィリアム・ローリングズと彼の妻エリザベス・メアリーの息子として生まれた。彼の家族は有名で、フラムリンガムのアボリジナル・コミュニティやより広い地元のコミュニティのメンバーから尊敬を受けていた。ウィリアム・ローリングズ・シニアは、アスリートとして注目を集めており、この家系の子孫にはボクサーであるライオネル・ローズのほか、兵士として活躍したレジナルド・ソーンダーズがいる。

 ローリングズ家は、アボリジニの「混血児」をミッションや政府の施設から追い出し、ミッションを閉鎖しようとするヴィクトリア先住民保護委員会の方針に反対して、活発な運動を起こしていた。フラムリンガムは1890年に閉じられたが、ローリングズを含む多くのアボリジナルは移住を拒否した。その結果、わずかな土地がアボリジナルのために残され、彼らはその土地にとどまるために激しく戦った。1898-1900年にコンダ湖the Lake Condahのアボリジナル居留地への強制的移転までは、フラムリンガムが彼らの家だった。父親は、1920年にフラムリンガム・コミュニティ代表として皇太子と面会している。

 ローリングズは1916年3月14日にウォーナンブールWarrnamboolからオーストラリアの帝国軍に入隊し、11月フランスにおいて第29大隊に参加。 1917年4月-10月イングランドに滞在後、1918年中頃、非常に激しい戦いに加わっていた第29大隊に戻った。 7月には敵の通信手段に対する攻撃を行う重要な任務において、果敢に戦い多くの敵を殺害した戦功を認められ、ローリングズは勲章を与えられた。

 しかし8月9日、第29大隊の作戦中にローリングズは死亡し、フランスのヒース墓地に埋葬された。第1次世界大戦期に入隊したことが知られているアボリジナルは、一説によると300人以下であり、そのうち3人が勲章を与えられた。ローリングズはそのうちの1人として、地元のコミュニティで誇らしく記憶されていた。彼の母が1939年6月に死んだとき、オーストラリア海陸帰還兵士帝国協会のウォーナンブール支部は立派な兵士の母親として手厚く彼女の葬儀を行ったという。

 林恵1506