Knox, Edward
ノックス、エドワード
1819-1901
デンマーク生まれ。
砂糖精製業者、銀行家。
1819年6月6日にデンマーク北東部のヘルシンゲルにて、バルト海で商業を行っていた父ジョージ・ノックスとその妻エリザベス・フランシスの8人の子供の1人として生まれた。
1830年に父が没した後は母の家族から教育を受ける。ドイツ北部のリューベックでの職業訓練を終えたのち16歳で叔父のロンドン商社に事務員として入社する。そこでの昇進が遅かったために叔父と口論になり、彼は牧羊家としてオーストラリアで富を求めることを決めた。
1840年にシドニーにたどり着く。オーストラリアオークション会社に入社し、1843年には部長となる。その年の8月、オーストラリア砂糖会社に移籍すると2人の仲間とともに精製所と蒸留酒製造所を買収し、オーストラリア砂糖会社に賃貸しした。1844年にハンターズヒルにてマルサと結婚する。その年の後半、彼は公的な譲受人に任命される。1845~1901年にかけて、彼はシドニーにある商業銀行会社の重役を務める。1847年に常務取締役が横領により解雇されると彼はその跡を継ぎ常務取締役に任命された。1851年に常務取締役を辞任したのちはシドニー市街電車鉄道会社の重役となった。
1854年にオーストラリア砂糖会社は清算に追い込まれる。1855年にノックスは植民地砂糖精製会社を設立する。彼はその最初の社長となり海外にいるときを除き1901年までその地位を保持した。それから2年間、会社は成功し原料の砂糖はすべて輸入していた。1857年には植民地砂糖会社の株保有者が資金の半分を援助したヴィクトリア砂糖会社が設立された。その社長をノックスは務めた。ノックスは家や植民地砂糖会社の株の一部を売りイングランドへと行くが砂糖の相場が下がり、破産の危機に直面した。そこですぐにシドニーへと戻り、かつてオーストラリア砂糖会社の社長であったラルフ・ローベイがライバルとなる精製所を建てる計画を立てていることを知る。ローベイは法的手続きをもって会社を解散させようとするが、ノックスは徐々に会社を立て直していく。
彼は富を贅沢に分配しないことを決意し、事業拡大への資金を留保し、買収によって競争を妨げ、会社内での影響力を拡大していった。原料となる砂糖の世界市場について如才ない判断を行い、また新しい技術も次々と取り入れていった。彼のリーダーシップの下で他のオーストラリア植民地やニュージーランドに精製所が建てられ、ニューサウスウェールズやクイーンズランド、フィジーにも独立農民から買い取ったサトウキビを加工する工場が建てられた。1880年に経営全般を次男のエドワード・ウィリアムに譲ったが、1901年に亡くなるまで社長の座につき続けた。
彼は敬虔なアングリカンであり、1857年には教区委員会の一員であった。またシドニーの州総会議と一般総会議のそれぞれの一員であり、そのほかの多くの委員会で活動を行っていた。
後藤貴洋1506