オーストラリア辞典
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Dobell, William

ドウべル、ウィリアム


1899-1970
ニューカスル生まれ。
画家。


 1899年9月24日、オーストラリアのニューサウスウェールズのニューカスルで生まれる。父親はレンガ工のロバート・ドウベルで、母親はマーガレット・エマである。彼はクックス・ヒルの商業学校に通う中で、師ジョン・ウォーカーと出会い、絵画の道を志すようになる。その後、ジュリアン・アシュトン・シドニー芸術学校へ進学する。芸術学校で好成績を収め、ロンドン留学の奨学金を獲得し、1929年にロンドンへと渡る。

 ロンドンで学友と切磋琢磨する中で、彼はオーストラリアで学んだ絵画技術を大成させる。1930年には人物画で優勝を果たした。しかし、1931年になると奨学金の援助が終了したため、節約生活を余儀なくされた。その頃から彼は生計を立てる手段としてポスターや広告の絵を手掛け始めた。また、彼は特に衣服を節約しており、新聞を手に持ってオーバーコートの破れた部分を隠したり、靴下の穴が開いている部分に靴下と同じような色を塗ったりしていた。ロンドンで節約生活を送っていた彼であるが、父が死の淵にいるという知らせを受けてオーストラリアへ帰郷する。

 オーストラリア帰郷後も彼は絵画の仕事を続ける。彼は1944年にジョシュア・スミスの肖像画でアーチボルド賞を受賞するのだが、このジョシュア・スミスの肖像画を巡って議論が勃発した。この肖像画はスミスの特徴を誇張しており、モデルとなったスミスは彼と話すことを嫌がるようになったのである。このスミスの反応を受けて、世間ではこの絵は果たして肖像画なのか、風刺画ではないのか、という議論が勃発し、なかには彼を批判するような意見もあった。世間の批判を受けて彼は精神衰弱に陥り、一時期は画家という仕事から離れる。

 1940年代後半から画家としての仕事を再開する。1950年代前半にはニューギニアの絵を、1950年代後半から1960年代前半にかけては南ベトナムの大統領ディン・ディエムやメアリー・ギルモアといった著名な人々の肖像画を描いた。そんな彼も、1970年の5月13日に高血圧による心臓病で亡くなる。現在、ニューサウスウェールズ州立美術館にはウィリアム・ピジョンによって描かれた彼の肖像画が飾られている。

 松平桃子1506