Stewart, Alexander
スチュワート、アレクサンダー
1835-1918
スコットランド、パースシャー、キャプス生まれ。
商人、資本家。
1835年、獣医チャールズ・スチュワートと、その妻エルスペスの第2子として生まれる。1858年にブリズベンへと移住し、衣類の小売業を始める。1862年、のちに下院議員となるウィリアム・へマントと組んで織物の販売業にも手を付けるが、1864年に起きた市街一帯に及ぶ大火によって店が焼失した。しかし彼は数年後には、ロンドンに支店を出すほどまでに店の経営を回復した。ウィリアム・へマントとの協力関係は1871年に解消となったが、彼の会社 Alexander Stewart & Sons はその後、シドニー、メルボルンにも支店を開いた。
事業を軌道に乗せたスチュワートは1870年代半ば、ブリズベン郊外に250エーカー(101ヘクタール)の土地を購入し自宅を建てた。その邸宅はメラネシア人労働者に建てさせたもので、完成した1877年にはコリント式の柱やベランダの床に敷く白黒の大理石(使用人がバターミルクで磨いていた)や豪奢な家具を輸入した。邸内の階段の踊り場に飾られたステンドグラスには、獅子の頭と彼がモットーとしていた“常に忠誠を”という言葉が刻まれていた。これらのほかにも、彼の邸宅には使用人の宿舎やビリヤード場、射撃場、テニスコート、芝に覆われ南洋杉の茂った庭、菜園、井戸があったほか、家畜も飼育されていた。
スチュワートはプレスビテリアンの様式で3度結婚した。1度目は前述した1862年のマリア・ヴェイン・マーティンとの結婚であり、2人の子をもうけた。二度目は1866年のアンネ・キロウとの結婚である。アンネとの間には7人の子供をもうけた。そして3度目は1907年のエディス・アニー・ベストとの結婚であった。スチュワートは思慮深く、敬虔なプレスビテリアンであり、スコットランド人としての出自を誇りに思っていた。彼は慈善事業に努め、ブリズベンの聖アンドリュー教会の管財人やフリーメイソンのスコットランド人組織の一員だった。またAMP社の重役でもあった。
晩年は妻エディスと過ごし、長い闘病生活の後、1918年に1度目と2度目の結婚でもうけた7人の子供たちとエディスに看取られながら、自宅で死去した。
齊藤丈晃1506