オーストラリア辞典
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Yampi Sound

ヤンピー・サウンド


キンバリー地区の北西海岸部。


 名前はアボリジナルに由来し、「淡水」を意味するとされる。1838年ビーグル号がこの地を訪れる。19世紀末に真珠採りによって鉄鉱石が発見され、1915年クィーンズランド政府が開発を試みるが失敗した。その周辺の豊富な鉄鉱資源は、1928年頃から日本人の関心を集めた。ウメダ・ノブツロウはオーストラリアに日本への鉄鉱石輸出を承認させるため、交渉役として派遣された。彼は浅野製鉄や日本の海運会社などを代表していた。最初の交渉は失敗したが、1935年には日本への輸出用の鉄鉱石の試掘が行われるようになった。翌年ヤンピー・サウンド鉱山会社が、日本の会社とオーストラリアの会社による共同出資のもと設立された。年1回クーラン島Koolan Islandから100万トンの鉄鉱石の海上輸送を行う計画がたてられた。日本との鉄の売買に関する事業は、数多くのオーストラリア現地企業の協力のもとに進められていた。

 この事業は重要な拠点となるキンバリー地方の発展へとつながることが期待されていた。しかし、この日本による事業計画をオーストラリア資源に対する日本の侵略ととられて、事業の中止を求める声も数多く出た。

 1938年5月、連邦政府は日本による鉱山経営の縮小を意図して、すべての鉄鉱石資源の輸出停止を決定した。それはまさに日本への最初の鉄鉱石の輸出が計画されていた時であった。鉱山の産出量が予測よりも小規模で、国の備蓄政策への影響が懸念されるというのが口実である。その当時の首相ライオンズは、輸出停止を確実に進めるため、資源規模に関するレポートを改ざんした。

 クーラン島の借地権は後にBHP社に渡った。1950年にコカトゥー島Cockatoo Islandの露天掘りが始まり、翌年ポート・ケンブラヘ鉄鉱石が送られた。町が設立され、64年にはクーラン島での露天掘りも始まった。こうしてヤンピー・サウンドが西オーストラリア最大の鉄鉱石の輸出港となった。

 師井学00