White, Patrick Victor Martindale
ホワイト、パトリック・ヴィクター・マーティンデイル
1912-1990
ロンドン生まれ。
作家
1950年代以降のオーストラリア人作家の中で最も著名な人物である。1973年にノーベル賞を受賞。彼の独特なスタイルは、後のオーストラリア文学に大きな影響を与えた。
パトリック・ホワイトは、オーストラリア人の両親の間に、ロンドンで生まれた。教育熱心な両親のもとで、ホワイトは様々な環境で教育を受けることになった。まず、オーストラリアのモス・ヴェイルでクランブルック校、チューダー・ハウス校に通い、13歳から16歳までは、イングランドのチェルトナム校に通った。1929年にはオーストラリアに戻り、親元の羊牧場で2年間働いた。この頃からホワイトは小説を書き始めた。1933年には、フランス語とドイツ語を学ぶためにケンブリッジ大学キングス・カレッジに入り、1935年に卒業した。卒業後はロンドンに住み、ニューヨークなど各地を旅した。その間、劇や詩を書き、風刺的な技法を発達させた。1939年には、ニューヨークで、小説『幸福の谷』を出版した。第2次世界大戦中は、英国空軍の情報将校として中東、ギリシャへと赴いた。1948年、ホワイトはオーストラリアに定住することを決め、シドニー郊外のキャッスル・ヒル近くのドッグウッズに住んだ。
彼の作家人生の転機となったのが、1955年の『人間の樹』であり、1957年の『ヴォス』で彼の名声は確立された。他の作家が、人間の内面の葛藤などを表現しようとし、またホワイト自身もそれまで狭い範囲を扱った小説を書いていたのに対し、この2作品以降オーストラリアの自然の多様性や広大さを扱うようになった。これには、1948年のオーストラリアへの再定住が反映しているといえよう。
1973年、ホワイトはノーベル文学賞を受賞、その賞金でパトリック・ホワイト文学賞を設立した。ホワイトは、12の小説の他に、いくつかの劇、詩、短篇も残している。小説のタイトルは次の通り。『幸福の谷』(1939)、The Living and the Dead(1942)、The Aunt's Story(1946)、『人間の樹』(1955)、『ヴォス』(1957)、『戦車の騎手たち』(1961)、『完全な曼陀羅』(1966)、『生体解剖者』(1970)、『台風の目』(1973)、A Fringe of Leaves(1976)、『トワイボーン・アフェアー』(1979)、Memoir of Many in One(1986)
山崎雅子00