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Washington Conference
ワシントン会議
第1次世界大戦後の1921年9月から1922年2月まで、アメリカ主導のもと、海軍軍備制限問題や極東・太平洋問題について行なわれた会議。参加国は、イギリス、ベルギー、中国、フランス、イタリア、日本、オランダ、ポルトガル、アメリカの9カ国である。オーストラリアは、国防省長官ジョージ・ピアスが、イギリス代表の1人として出席した。
会議では、主に3つの条約が結ばれた。まず1つ目は四カ国条約である。イギリス、フランス、アメリカ、日本の間で、太平洋におけるお互いの領域を尊重しようというものである。これによって、1902年以来の日英同盟は破棄された。
2つ目は、上の四カ国にイタリアを加えた五カ国条約である。海軍主力艦の制限を行なうもので、英・米・日・仏・伊の主力艦の割合が5:5:3:1,75:1,75となるように定めたものである。これにより、新たな主力艦を10年間建造することは禁止されたが、西太平洋における日本の優勢を容認するものであった。
3つ目は、全参加国による9カ国条約である。これは、中国の領土の尊重を約束する一方で、あらゆる国に中国との貿易の機会を保障するものであった。
1930年代には、これらの条約は特に日本の領土拡張主義の挑戦を受けた。会議の後には、オーストラリアの国防構想はシンガポールにおける基地建設にますます集中していった。
新村祐規00