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Voyager Disaster
ヴォイジャー号の沈没
オーストラリア海軍の被った非戦闘活動における最も大きな災害。1964年2月10日午後9時、ニューサウスウェールズのジャーヴィス湾で夜間演習中に、駆逐艦ヴォイジャー号と空母メルボルン号が衝突した。ヴォイジャー号が航路から外れ、メルボルン号の進路に入り込んだため起きた。船首はすぐに沈み、船尾も夜半には沈没した。ヴォイジャー号の船員324人中ダンカン・スティーヴンズ船長、ブリッジの将校すべてを含む82人が死亡した。メルボルン号は、船首が損傷したが、乗組員は難を逃れた。1964年に開かれた、王立調査委員会は、ヴォイジャー号の進路変更を原因としたが、演習の責任者であったメルボルン号の船長のジョン・ロバートソンを回避行動に失敗したとして批判した。海軍軍法会議でロバートソンの責任は追及されなかったが、沿岸警備隊へと異動させられ、1964年9月に除隊となった。その後、スティーヴンズの飲酒についての申し立てなどが行われ、1967-68年に2回目の王立調査委員会が開かれた。衝突の全責任はヴォイジャー号にあり、スティーヴンズは健康不良のため船長に適していなかったということになった。その結果、ロバートソンに対する批判は公正なものではないということになり、1968年に政府から賠償金を受け取った。1993年5月、連邦政府は衝突に関する責任を認め、生存者への補償の道を開いた。
松本圭一1201