Van Diemen's Land Company
ヴァンディーメンズランド会社
ヴァンディーメンズランド(現在のタスマニア、1825年まではニューサウスウェールズの一部であった。)において農業と牧畜を行うために、1825年にロンドンのシンジケートにより設立された会社。ニューサウスウェールズにおける同種の事業である、オーストラリア農業会社Australian Agricultural Companyと同時期に誕生した。ビッグにより1822年に植民地省に提出されたリポートが、両社の設立に大きく寄与している。こうした企業による雇用機会の創出が、自由な移民を植民地に引き付けることが期待されていたが、実際には、囚人による安価な労働力に依存していた。
会社は、資本金100万ポンドで事業をはじめ、25万エーカーの土地を植民地当局から無償で与えられた。1826年には、エドワード・カーEdward Currの率いる設立準備団が、イギリスから到着し、ヴァンディーメンズランドの北西に土地を確保した。当初、土地の選択に時間を要したことから、会社の発展は遅かった。また、年季奉公人や囚人の労働力、アボリジナル、イギリス式耕作方法のオーストラリアの環境への不適合など、オーストラリアにおいて通常みられる数々の障害にも直面した。
会社は、当初に予想されたほどには発展しなかったが、現在まで存続している。19世紀から20世紀を通じての主要な事業は、農業と牧畜であるが、19世紀後半にはタスマニアで鉱物資源が発見され、それを積み出す港湾地帯を所有していた同社は間接的な利益を得た。19世紀終わりから20世紀にかけて、政府が中小農民に土地を与える稠密植民の影響により、会社所有の土地は減少した。しかし、会社設立から150年以上が経った後も依然として20,000エーカーの土地を有しているのである。タスマニア州北部のバーニーにおける製紙業の発展は、同社の有する森林資源の市場となっている。
浅野敬一 01