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Trans Australia Airlines (TAA)
トランス・オーストラリア航空会社
長年に渡って、アンセット航空と共にオーストラリアの2大国内線の一翼を担った航空会社。
1945年、チフリー労働党政権は国立航空会社委員会Australian National Airlines Commissionを設立し、民間航空会社の国有化を試みた。この計画に対して連邦最高裁による違憲判決が下されたが、翌1946年、同委員会により運営されるトランス・オーストラリア航空会社(TAA)が設立され、メルボルン・シドニー間の日帰り運行を開始した。その後間もなく運行範囲は拡大され、事業は成功を収めた。1952年、自由党と地方党によるメンジーズ連立政権は国内線に関して、後に「2大航空会社政策」two-airline policyとして知られる新しい方針を打ち出した。この政策においてTAAと共に2大航空会社を形成したのが、TAAのライヴァルで、当時、業績不振であった民間保有のオーストラリアン・ナショナル・エアウェイズ(ANA)である。1957年にアンセット社がANAを合併すると、「2大航空会社政策」はアンセット航空に適用されるようになる。1986年、TAAは社名をオーストラリアン航空Australian Airlinesに変更した。国内線の規制撤廃によって、「2大航空会社政策」は1990年に終わりを告げ、1993年にオーストラリアン航空はカンタス航空Qantas Airwaysに吸収合併された。また、残ったアンセット航空も2002年に倒産した。
藤井秀明01