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Tichborne Case
ティッチボーン事件
19世紀イギリスでのセンセーショナルな法的事件である。ロジャー・ティッチボーンという、準男爵の位と財産の相続人が、1854年に南アメリカ海岸沖の船の難破で姿を消した。彼の母親は、彼を捜索しようと広告を出した。ニューサウスウェールズのワガワガの肉屋の店員、トマス・カストロと称する人物が、1865年にその広告に応答し、自らをティッチボーンだと主張した。ティッチボーンの主張者(そう呼ばれていた)は、1866年にイギリスへ行った。彼はティッチボーンの母親に、自分がティッチボーンであることを納得させたが、家族の残りの者は納得しなかった。彼の主張を立証しようという訴訟が起こされたが、1872年に失敗した。彼はその後、偽証罪で起訴されて有罪の判決を下され、禁固14年を宣告された。彼は1834年にロンドンのワッピングで生まれたアーサー・オートンという名の人物で、肉屋の息子であると考えられている。オートンは1849年に南アメリカへ渡り、1851年にイギリスへ戻り、それから1852年にオーストラリアへ出航した。彼は1864年にワガワガでカストロという名を使い肉屋の店員になるまで、オーストラリアで様々な職を経験した。1884年刑務所からの出所後、大衆演芸場の俳優となった。1895年に詐欺師である事を認めたが、後にその自白を撤回した。1898年に彼はロンドンで死んだ。ティッチボーン事件はイギリス、オーストラリアの両方で多くのマスコミや大衆の興味を引き付けた。
見国祐也01