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Three Elevens
スリー・イレヴンズ
1904年2月1日、当時の首相アルフレッド・ディーキンが、メルボルンで行った演説で使った有名な言葉。議会で多数党が出なかったことを、2チームではなく3チームで争っているクリケットのゲームにたとえた。
1903年12月16日に行われた選挙で、議席は、ほぼ均等に3党に分配された。下院では、ディーキン率いる保護主義者が25、ジョージ・リード率いる自由貿易主義者が24、労働党が23、無所属1であった。上院では保護主義者9、自由貿易主義者13、労働党14であった。ディーキンは労働党の支持に依存することになり、労働党は労働調停仲裁法案の修正をその支持の条件とした。
1904年1月、ディーキンはアデレイドでのクリケットのテストマッチを見物し、2週間後にメルボルンの集会で演説したときに、スリー・イレヴンズのたとえを使った。
ディーキンのフレーズは次の通り。「もしクリケットで、2チームではなく3チームのイレヴンたちが、時には一方のチームと、時にはもう一方のチームといっしょに、また時には単独で戦ったら、どんな試合が成り立つというのか。成り立つはずがない。・・・できる限り早く3党が2党に分解・融合することが絶対不可欠である。」
1909年、自由貿易主義者と保護主義者は融合して自由党となった。
山崎雅子01