the Movement
ムーヴメント、運動
カトリックの反共政治団体。
メルボルンの大司教ダニエル・マニックスが中心となって結成され、B.A.サンタマリアが運営を担った。第1回の正式な会合は1942年に開かれた。正式には、カトリック社会研究運動the Catholic Social Studies Movement として知られている。1931年のメルボルンにおけるカムピォン・ソサエティ結成、1936年の『カトリック・ワーカー』誌創刊、1937年のカトリック・アクションの事務局設立といったムーヴメント結成以前の一連の動きは、第2次世界大戦後の社会の変化と混乱に対するカトリックの対応を反映していた。ムーヴメントは、これらの運動を背景に生まれてきたのである。ムーヴメントは様々な活動を行っていたが、最大の目的は共産主義勢力に対抗することであった。運営の中心を担っていたB.A.サンタマリアは弁護士で、『カトリック・ワーカー』誌の初代編集長でもあった。ムーヴメントの組織編成は教会のそれを真似ており、実際、教会組織を通じて活動を行い、1945年からは正式に教会の支援を受けていた。特に、マニックス大司教のお膝元であるメルボルンでは絶大な影響力を誇った。労働党内の反共労働団体であるインダストリアル・グループとも連携するようになった。インダストリアル・グループが労働党内に影響力を持つようになると、1950年代初めにはヴィクトリア州の労働党執行部の実権を掌握した。勢力を拡大するにつれて、カトリック教会内でも宗教と政治の境目があいまいになってくることに不満を持つグループが生まれた。その結果、ヴァチカンの裁定により、ムーヴメントは教会の公的な支援を失うことになった。1956年、そのヴァチカンの決定が正式に下される前に、ムーヴメントは国家市民評議会the National Civic Councilへと改組した。教会内部の抗争と並行して労働党内でも抗争が生じ、1955年に労働党は分裂し、反共主義的な議員たちが民主労働党を結成した。ムーヴメントは民主労働党を支持していくことになるが、反共主義一辺倒の姿勢のために広範な支持が得ることができず、急速にその勢いを失っていった。
三木一太朗00