オーストラリア辞典
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Tenterfield Oration

テンタフィールドの演説



 1889年10月24日、ニューサウスウェールズのテンタフィールドで行われた、ヘンリー・パークスの有名な演説。この頃のヘンリー・パークスは主に防衛上の理由から連邦制を主張しており、この演説の中でも、植民地の連邦制と強力な国民国家の建設を求め、植民地議会の代表は憲法の草案を作るべきであるとした。

 演説それ自体は特に注意を引くものではなく、翌年の演説で使われた「親族の真っ赤な糸が私たちすべてを結びつける。」のような記憶に残るフレーズはなかった。またそれは、植民地間の違いを回避して、新しい国会で関税問題に決着をつけるというパークスの戦略を明確にしたものでもなかった。(この戦略については、彼がその後数週間にわたって行った一連の演説で詳しく述べられた。)しかしこのスピーチは、ニューサウスウェールズがその時点まで、複数の植民地が参加していた連邦評議会と距離を置いてきたことから注目に値する。他の植民地の首相たちはパークスのこの呼びかけを慎重に受け止め、連邦評議会に参加するよう促したが、パークスは拒絶し、植民地はすでに完全な連邦に進む準備が整っていると主張した。1890年に憲法の草案を作る会議が招集されることが決定された。

 山崎雅子01