Tennant Creek
テナント・クリーク
ノーザンテリトリー中央部の町で、ダーウィンの南964キロに位置する。
人口:3,856(1996)、3,118(1981)、567(1947)、21(1933)。
この町は、鉱業の中心地であり、地方行政の中心でもある。その名前は、近くを流れる小川に由来していて、この小川の名前は、ジョン・マクダウアル・スチュアートが1860年に、南オーストラリアのポート・リンカーンの開拓移民である、John Tennantに敬意を表して呼んだものである。スチュアート・ハイウェイに接しており、伝統的にウォラマングのアボリジナルの土地で、現在は、主にアボリジナルが居住している。年平均降水量は362ミリである。金や銅が主要な産出鉱物であるが、ノーザンテリトリーの牛肉生産の中心地でもある。
1872年に、大陸横断電信線の中継の拠点が設置され、この町の発展を誘発した。金が1879年に発見されたが、1930年に主要な産出地帯が見つかるまで、重要な鉱山ではなかった。オーストラリア最後と言われたゴールドラッシュは1932年に起こり、定住は1933年に始まった。町は1935年に測量が実施され(このときこの土地には数百人の鉱夫がいた)、1954年に公示された。ローマ・カトリック教会は1906年にパイン・クリークに設立されたが、1936年にこの町に移転された。マッケイ、ベネット、ニールの航空機による測量のための基地が1937年に置かれた。豊富な金の鉱床が1949年にノウブルズ・ノブ鉱山で発見され、露天掘りが導入され、34トンを超える金が産出された。現在は操業を停止し観光客に開放されている。年間3万トンの鉱石がポート・アガスタから、日本へ運ばれていたこともある。現在も周辺では金の生産が行われており、観光客も自分で金捜しを試してみることができる。都市からきたアボリジナルを定住させるためにフィリップ・クリークの入植地が設置されたが、1954-56年にウォラブライに移された。
石川美帆0502