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Tattersall's sweepstakes
タッタソルズ競馬くじ
このオーストラリアで人気のある宝くじの一種は、競馬を基礎としている。1878年にジョージ・アダムズ(1839-1904)は、シドニーのピット・ストリートにあるオブライエンズ・ホテルを買収した。オブライエンズ・ホテルは、ロンドンのタッタソルズをモデルにしたタッタソルズ・クラブの本拠地でもあった。彼はホテルで開催される私的な競馬くじを運営していたが、1881年のシドニー・カップで最初の公的競馬くじを開催し、1枚あたり1ポンドのチケットを2,000枚売った。ニューサウスウェールズ政府が競馬くじを非合法化したのち、アダムズは1893年タッタソルズをブリスベンに移した。しかしそこでも同様の問題が生じたため、1895年にはホバートへ移った。タスマニア政府の要求で、破綻したヴァンディーメンズランド銀行の負債を処理する目的の宝くじを、彼は1895年と1896年に運営した。ホバートでの最初のタッタソルズ競馬くじは、1896年のオーストラリア・デイにおけるアニヴァーサリー・カップで開催された。翌年、タッタソルズはタスマニア植民地の公式宝くじとなった。このビジネスは、1904年のアダムズの死後も続けられた。タッタソルズの郵便による連絡が1902年から1930年にかけて連邦で禁止されたにもかかわらず、「タッツのチケット」をもつことはオーストラリア人の気質の一部を形成していた。タッタソルズはナンバーゲームである「タッツ・ロト」Tatts lottoを1972年に導入し、それ以降も様々な賭博ゲームを世に送り出した。1953年にヴィクトリアに移り、現在の本拠はメルボルンにある。
松田真01