Syme, David
サイム、デイヴィド
1827-1908
ノース・ベリック、スコットランド生まれ。
新聞社社主
デイヴィド・サイムは、スコットランドで生まれ、校長である父親による厳格な教育を受けた。ドイツに遊学した後、1851年にカリフォルニアの金鉱へ向かい、その後1852年から1855年まで、ヴィクトリアで金を掘った。彼は、1856年、兄エベニーザEbenezerと新聞『エイジ』の共同事業主となり、1859年にエベニーザが健康を害すると、その実権を得た。
彼は、一貫して急進主義者であり、自作農、労働組合員、「(財産・社会的地位など)持たざるもの」を援護した。それまで土地を占有していたスクオッターへの補償抜きで、フリー・セレクションによって小農にも土地が入手できるようにすべきだと主張した。また、地場産業を守るため、保護貿易関税の熱烈な提唱者となった。そのため、彼は、「保護関税の父」と呼ばれるまでになる。さらに、民主主義的諸改革の導入、無償で宗教色のない義務教育や、労働状態改善のための工場法制定、反苦汗労働運動なども支持した。彼の支持は、ディーキンやピアソンといったヴィクトリアの自由主義急進派と大いに関連していた。ディーキンらは、『エイジ』紙に数多く寄稿した。
『エイジ』紙の発行部数は急激に伸びた。1860 年には2,000部であったが、1868年に価格を1ペニーに下げたこともあり、1880年には4万部、1899年には12万部に上った。これは保守系の新聞『アーガス』の5倍である。1897年連邦憲法制定会議の選挙の際に、『エイジ』紙が連邦化支持を強く打ち出し、紙上に名を挙げた10人がすべて当選したことは、彼がヴィクトリアの諸問題にどれほど政治的影響力をもっていたかを示すよい例としてしばしば引用される。
サイムは、いくつかの著作を出版し、19世紀末の経済問題に関して影響力のある著述家であった。1876年に出版された代表作『産業科学の概要』Outlines of an Industrial Scienceでは、保護貿易とステイト・ソーシャリズムを擁護している。
彼の死後、息子が新聞社を引き継いだが、1948年に公開会社となった。1972年にフェアファックスに買収された。
水野祥子01