オーストラリア辞典
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Stanley

スタンリー


タスマニア北西部、ホバートの北西411キロに位置する。
人口:543(1996)、600(1991)、603(1981)、818(1961)、484(1901)、332(1881)。


 地名は1840年代の植民地担当大臣にちなんで、ヴァンディーメンズランド会社のジェイムズ・ギブソンによって命名された。1816年にジェームズ・ケリーがタスマニア島を船で1周した後、1823年から24年にかけてヨーロッパ人入植地設立のための調査が行われた。1824年に最初の植民が行われ、ヴァンディーメンズランド会社の居住地が作られた。ヴァンディーメンズランド会社は本社をロンドンにおき、1825年に土地の開拓と羊の飼育を目的として設立され、タスマニア北西部の141,600ヘクタールの土地が政府によって交付された。会社の代理人たちは、本社の指示に反して、先住民のアボリジナルを弾圧し、多数のアボリジナルが虐殺された。1842年にサーキュラー・ヘッドCircular Head付近で、タスマニア最後のアボリジナルの家族が発見された。スタンリーの発展はヴァンディーメンズランド会社に依存しており、エドワード・カーEdward Currがその代表者であった。同年、タウンが設立され、測量の行われたこの年からスタンリーの発展が始まった。1853年、セント・ジェームズ・プレスビタリアン教会が建設されたが、これはロンドンで作られ、船では運ばれた建物であり、この種の建築物としてはごく初期のものである。また1866年には学校が建設された。1920年代になるとヴァンディーメンズランド会社の本社はスミストンに移された。現在は観光地として知られており、ジョゼフ・ライオンズ首相の生家や、ナットThe Nutと呼ばれる小山が観光の名所になっている。

 藤岡真樹・藤川隆男0303