オーストラリア辞典
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Sorell, William

ソレル、ウィリアム


1775-1848
西インド生まれ。
兵士、副総督(1816-1824)。


 7年にわたってヴァンディーメンズランド植民地の行政に携わり、様々な行政改革を行った。

 少将である父の子として西インドに生まれた。当時の慣習にのっとって1790年に軍に入り、旗手に任命された。1793年には中尉となって西インドに赴き、重傷を負った。その後も、北オランダへの遠征などに参加した。その後、ケープ植民地に赴任した。そこでは陸軍中将の娘と結婚し、家庭内での不和はあったものの、有能な行政官として働くようになった。本国に戻った後、1812年に少佐に昇進したが翌年退役した。

 1816年、それまでの行政官としての手腕を買われ、植民地の秩序回復を期待されてヴァンディーメンズランドの副総督に任命された。1817年にシドニーに到着、ホバートに向かうまでの短期間であったものの、マクウォリー総督に強い印象を残す。同年から早速行政改革に取りかかった。

 まずはじめに行ったのがブッシュレンジャーの制圧であった。当時のブッシュレンジャーはマイケル・ハウを中心として強い勢力を持っていた。ソレルは、周到な計画をねった上で軍事行動に移り、関係者の多くを絞首刑とした。その後も捜査を続け、18ヵ月後にはすべてのブッシュレンジャーを逮捕するに至った。またソレルは、植民地内の法秩序の回復にも力を入れ、効率的な行政機構を作り上げた。彼は「健全な行政システムの創設者」でもあった。1817年ころからは、自由移民が増加し、それに対応するために、ソレルは個人的に土地調査を開始し、牧用地としての価値を見い出した。以降、メリノ種の羊が導入され、盛んに貿易が行われるようになった。しかし、当時の通貨は安定していなかった。これを問題としたソレルは、有力な商人たちの協力を得てヴァンディーメンズランド銀行を創設した。

 当時の本国政府は、植民地を主に流刑のためのものと認識していた。ソレルは、これらの目的を果たすことが必要であると考えた。そのためにまずホバートに囚人用のバラックを建て、1822年から収容を始めた。また、再犯の囚人のための施設をマクウォリー・ハーバーにあるサラ島に移した。これらの施設では、囚人に対して、人道的とはいえない厳しい態度がとられたので、後に批判を受けることになった。またソレルは、社会改良にも関心を持ち、アボリジナルの子供を奴隷にすることを禁止したり、白人孤児のための施設を作る準備をした。

 このように行政面では賢明な政策をとったソレルだが、プライベートな面での事件が、行政官としての任期を短命にした。家庭内の不和、不倫などで賠償を払わねばならなかった。長年の愛人であったケント夫人と総督邸で同棲するようになり、これを非難されて、1824年には解任されて、ソレルは本国へ戻ることとなった。彼の後任にはアーサーが選ばれた。ソレルは本国に戻った後も2度と行政に携わることはなく、1848年6月4日、ロンドンで亡くなった。

 山崎雅子1101