Snowy Mountains
スノーウィー・マウンテンズ、(スノーウィ、スノウイー)
ニューサウスウェールズ南東部の山岳地帯、オーストラリアで最も高度の高い場所、
クーマその他の周辺都市を見よ。
この山岳地域は1820年代からスノーウィーと描写されてきたが、正式にこの名称をつけたのは、W.B.クラークである。彼は1851-52年にこの地域の地質学調査を行い、この名称を採用した。また、スノーウィー・マウンテンズで最高峰コジアスコウ(コシューシコウ)山(1997年よりMount Kosciuszko or Kosciusko)は、1840年2月14日、ポール・ストレズレキー伯爵がオーストラリアの最高峰に登頂したときに、ポーランドの英雄にちなんで名づけた。1830年代からスクオッターが入り、1846年から1847年にはトマス・タウンゼントが、山の測量をおこなった。1898年から1902年に測候所が設けられ、1906年から1908年にホテル・コジアスコウがオープンし、山頂への道は1909年に開通した。1944年に州立公園となり、1967年に国立公園となった。1949年スノーウィー・マウンテンズの水資源開発計画に州と連邦が合意し、水力発電と内陸の潅漑のための水資源の利用が実施に移された。クーマにその本部がおかれ、最初の発電所が1955年に完成し、最初の主要なダム、ユーカンビーン・ダムが1956年から1958年に建設された。1840年代に建設されたジンダバインJindabyneの町は、ダムによってできたレイク・ジンダバインの湖底に沈み、新しい町が1964年に建設された。現在のジンダバインの町(1996年の人口4,320)は、スキーや水上スポーツの盛んなリゾートとして発展している。スノーウィー・マウンテンズ水資源開発(水力発電)計画は1972年に完成した。1920年代にシャーロッツ・パスにスキー・リゾートができて以来、第2次世界大戦後には、ペリッシャーPerisherやスレドボーThredbo、セルウィンSelwynなどのリゾートが発達した。
藤川隆男0303