オーストラリア辞典
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Secondary industry

第2次産業



 最も初期における製造業の大半は、製粉、毛製品及び醸造等、農産物の加工であった。シドニーには、ラクラン・マクウォリーが総督であった時期までに、レンガ工場や鋳造所、その他帽子、皮革製品、毛布、靴、材木等を製造する小さな工場が設けられた。また、民間のものだけでなく、政府による工場も存在していた。世紀転換期には、海運業、アザラシ猟、捕鯨が始まると同時に、商人階級も生まれた。また、こうした動きは、造船業の発展を促進した。

 1850年代までは、これらの業種が拡大を続けたが、ゴールドラッシュにともない人口が増加すると、衣類や繊維、建築資材、食品、機械及び金属等の製造も刺激された。

 ヴィクトリアは、地元産業を保護する関税政策により、製造業の中心となった。また、製造業は、全ての植民地、特にヴィクトリアとニューサウスウェールズでは、投資を誘引する役割を果たした。

 多少の浮き沈みをともないながらも拡大を続けていた製造業は、1890年代になると建設や畜産関連業を中心に、深刻な不況に見まわれた。しかし、連邦政府により採用された共通関税は、景気を刺激し、1915年、BHPがニューカッスルに製鉄所を開設すると、20世紀初頭の数十年間における第2次産業発展の特徴である、金属及び機械関連産業の成長がより一層促進された。

 第1次世界大戦が開始すると、輸入が減少し、国内市場向けの出荷は増加したものの、製造業の成長にはあまり影響を与えなかった。しかし、1920年代初頭になると、政府は、第1次産業だけでなく第2次産業の育成にも力を入れるようになり、海外市場からの資金調達や外資系企業の誘致、国内産業を保護する関税政策を行った。1930年代の大恐慌により拡大は止まったものの、製造業セクターは、30年代中ごろから始まった経済復興にかなり寄与していた。

 第2次世界大戦とともに、第2次産業はそれまでにない拡大を開始した。オーストラリアは、必要とするものを自ら調達し、しかも太平洋戦争に必要な物資を供給しなければならなかったため、成長が刺激されたのである。特に、金属、機械及び輸送機器に関連した産業が、めざましい発展を遂げた。戦争中の経験と拡張は、オーストラリア経済が、移民と資本の流入を手段に、第2次産業の成長に依存した完全雇用を目指した戦後復興期に引き継がれた。こうした経済の拡大は、自動車、機械及び繊維製品等のあらゆる種類の消費財を巻き込んだものであり、保護関税やその他の様々な施策により促進されたのである。

 オーストラリアの総輸出に占める、工業製品の割合は、1954年から1970年までの間に、6パーセントから20パーセントにまで増加した。しかし、その後は、1970年代初めの世界的な景気の後退にともない、輸出の減少が続いている。1939年以来記録された成長は鈍化し、1960年代半ばからは、製造業よりも鉱物金属資源に投資が集まるようになっている。

 浅野敬一 01