オーストラリア辞典
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Rum Rebellion

ラム酒の反乱



 1808年にニューサウスウェールズのシドニーで起きた反乱。ジョン・マッカーサーをはじめとする現地の有力者とニューサウスウェールズ軍団によって、当時の植民地総督であったウィリアム・ブライが監禁された事件。

 1806年に総督として着任したブライは、植民地の有力者であったマッカーサーらとの対立を引き起こした。ブライはかれらの主な収入源であったラム酒貿易を制限した。それに対してマッカーサーらが巻き返しを狙ったのがこの事件の骨格である。直接的にはマッカーサーに対する訴訟が反乱の原因となった。

 1808年1月26日、ジョージ・ジョンストンはニューサウスウェールズ軍団(彼らの中にはラム酒貿易に従事するものもいたので「ラム酒軍団」とも呼ばれた)によって、総督ブライを逮捕し、監禁した。ジョンストンはみずから「副総督」と称し、同年7月まで植民地の実権を掌握した。ジョゼフ・フォヴォウがこれを継承し、さらに彼を継いだウィリアム・パターソンが、ブライの次の総督になるラクラン・マクウォリーが到着するまで、ニューサウスウェールズ植民地の事実上の支配者となった。

 ブライはシドニーでしばらく幽閉され、1809年にヴァンディーメンズランドに渡った。1810年にシドニーに帰還し、同年にイングランドへ帰国した。ジョンストンは帰国した後、マッカーサーとともに軍法会議に付された。マッカーサーは事実上の無罪とされたが、ジョンストンは官職を罷免された。また、反乱の主役を演じたニューサウスウェールズ軍団は、本国に召還された。マッカーサーは植民地での逮捕・訴追を逃れるため、1817年までイングランドに滞在していた。

 権力強化を狙う総督と、植民地の現地有力者との確執は、このあとも続いた。

 坂本優一郎01