Richmond
リッチモンド
タスマニア南東部、ホバートの北東27キロ、コール川Cool Riverの河岸に位置する。
人口:768(1996)、587(1981)、414(1947)、539(1911)、448(1881)。
この都市の名前は、リッチモンド・パークの地所を都市の敷地の一部として獲得したことに由来し、副総督のソレルによって1824年に名づけられた。この地域は、1803年にリズドン・コウヴにヨーロッパの植民地ができた直後に、陸軍中尉のジョン・ボウエンJohn Bowenによって探検された。1815年に最初の製粉工場が建設された。この地域は1830年代を通じて、重要な小麦の生産地であった。1824年にソレルによってタウンとして公示された。1830年代まではタスマニアで3番目に大きな都市であり、囚人と軍の駐屯地が設けられていた。1861年に最初の議会選挙が行われた。
オーストラリアで最も古いリッチモンド・ブリッジは1823-25年に囚人労働によって造られた。オーストラリアで最も古い刑務所は1825年から建設された。1825-26年には裁判所が建てられた。雑貨店と、1832年から1972年まで使われていたオーストラリアで最も古い郵便局は、1829年に建てられた。穀物倉は1832年に建てられた。現在は博物館であるブリッジ・インは1834年に建設された。セント・ルークス教会が建設されたのは、1834-36年のことであり、この教会を設計をしたのは植民地の建築家のジョン・リー・アーチャJohn Lee Archerである。オーストラリアで最も古いローマ・カトリック教会であるセント・ジョンズ教会は1837年に建設された。1872年にソレルに橋ができると、交通が南に移動し、町は衰退した。
リッチモンドは歴史の町であり、現存している上記のような古い建物は多くの観光客を魅了している。町の国の文化遺産に登録されている建物は45にのぼっている。
新林秀亮1001