オーストラリア辞典
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religion

宗教



 オーストラリアにおける宗教の分布は、基本的には海外の宗派がそのまま導入されたといえる。アメリカ合衆国とは異なり、オーストラリアで形成された新しい社会には,新宗教,新宗派の試みはこれまで存在しなかった。初期の頃には、連合王国とアイルランドに広がっていた宗派がそのまま持ち込まれた。第2次世界大戦後にヨーロッパから到着した多くの新移民たちもこの傾向を踏襲ないしは強化した。すなわち、もともとオーストラリアにあった宗派に、ヨーロッパ大陸の数々のキリスト教の宗派が加わった。例えば、ギリシャ正教は、1950年代の移民の増加に伴って、著しく増加した。同様に中東からのキリスト教小集団の移民の増加が、キリスト教の宗派の多様化を促し始めた。同時期、非キリスト教集団の数も増加した。より多様な移民の増加傾向が、宗教の多様性をも拡大し続けるであろうことは予想できる。

 オーストラリアは、宗教が人間の生活に以前ほど影響力をもたなくなった時代に植民地となったので、どの植民地も国教を定めることはなかった。植民地初期に,英国国教会を国教化する動きもあったが、猛烈な反対に遭った。当時、国は教会の持つ伝統的な機能でもあった教育や医療を引き受けつつあり、宗教は、個人的な事柄としての側面が強調されたのである。

 大きな宗派とは別に、次のような小さな宗教集団も存在している。第1船団には幾人かのユダヤ人が含まれており、ユダヤ教徒はオーストラリア植民地の最初から存在していた。1817年にはユダヤ教の埋葬教会が設立された。最初の定期的礼拝は、少し遅れて、1830年代から始められた。1840年代中期にはシドニーやホバートに恒久的なユダヤ教の礼拝所や組織もできていた。

 バプティスト派はキリスト教の中での少数派ではあるが、そのなかでは最も大きな集団を形成している。しかし、1830年代にホバートとシドニーに最初の教会が開設されるまでは、取るに足りない存在であった。西オーストラリアは例外としても、その他の植民地には、バプティストは初期の入植者の中に存在し、1862年に最初のバプティストの連合を作った。

 また1830年代には、最初の恒久的な会衆派教会がシドニーとホバートに設立された。会衆派は伝統的に教会と国家の分離を主張しており、その立場はオーストラリアという国のありようには適していたといえる。1977年、会衆派はメソディスト派や長老派の協会と結合し、オーストラリアの連合教会を結成した。

 ルター派は1838年に南オーストラリアで始まった。この年、ルター派の信徒は迫害を逃れるためにドイツを離れ、彼らの宗教活動を展開するのにより好ましい場としてオーストラリアに定着した。

 19世紀にはアメリカからの3つの宗派が旗揚げをしている。最初はモルモン教団が1850年代に活動を開始、次にキリスト再臨派が1880年代に、そして世紀転換のころにエホバの証人がメルボルンで始まった。第2次世界大戦のとき彼らの活動は盛んになったが、戦争に対し中立的立場をとったため一時期禁止された。

 最初の救世軍の活動は1880年アデレイドで始められた。その派手な社会的活動のおかげで、彼らはオーストラリアでは最もよく知られた宗教団体となった。

 安井倫子00