railways
鉄道
オーストラリアの鉄道は1850年代から敷設されはじめた。各植民地においては、1854年にメルボルン=ポート・メルボルン間(ヴィクトリア)、1855年にレッドファーン=パラマッタ・ジャンクション間(ニューサウスウェールズ)、1856年にアデレイド=ポート・アデレイド間(南オーストラリア)、1863年にイプスウィッチ=グランチェスター間(クィーンズランド)、1871年にロンセストン=デロレイン間(タスマニア)、1879年にジェラルトン=ノーサンプトン間(西オーストラリア)、1889年にダーウィン=パイン・クリーク間(ノーザンテリトリー)にそれぞれ最初の蒸気鉄道路線が開設された。路線の中には当初民間企業によって設立されたものもあるが、すぐに植民地政府が管理に乗り出した(1911年以降には連邦政府もそれに関わった)。
鉄道総延長は、1861年の243マイル(391キロメートル)から、1890年には10,000マイル(16,100キロメートル)以上に達し、20世紀に入って以後もさらに拡張された。なかでも、西オーストラリアが連邦に加入することを条件として建設され、1917年に開通した大陸横断鉄道(南オーストラリアのポートオーガスタから西オーストラリアのカルグァリーまで)の事業は特記するに値する事例である。鉄道は植民地政府の公共事業の最大の投資対象であり、その資金の大部分はロンドンでの公債の発行によってまかなわれていた。その後1920年代に鉄道の拡大が終り、この時までに鉄道総延長距離は4万キロに達した。
オーストラリアの鉄道では、3種類の異なるゲージが使用されていたため、そのことが各地で様々な問題を引き起こした(ヴィクトリア・南オーストラリア=3フィート6インチ、ニューサウスウェールズ=4フィート8.5インチ[標準規格]、クィーンズランド・西オーストラリア=5フィート3インチ)。いくつかの路線は標準規格のゲージに取り替えるか、もしくは標準規格によるゲージを付け加えるなどの対処を行っている。
平野孝展01