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racial equality clause
人種差別撤廃条項問題:日豪関係
1919年、第1次世界大戦の戦後処理のために開催されたパリ講和会議で、日本は、創設が予定されていた国際連盟の規約のなかに、人種差別の撤廃に関する条項をいれることを提案した。これに対し、パリ講和会議に出席していたヒューズは激しく反発した。その理由は、オーストラリアの国是ともいうべき白豪主義の維持が困難になると考えたからであった。人種差別の撤廃には、道義的な正当性があったため、中国はもちろんのこと、アメリカやイギリスも正面切っての反対はしにくい状況であった。しかし、ヒューズは国際的な圧力をものともせず、日本の提案に絶対反対の立場を崩さなかった。妥協を探ろうとヒューズと日本全権の会見も設けられたが、ヒューズは自分の主張を一方的に述べて、強硬姿勢を貫いた。結局、山東問題との駆け引きなどで、日本の提案は退けられたが、日豪関係に大きなしこりを残すことになった。後にヒューズが訪日を希望したときも、この一件が原因となって、計画を頓挫させることになった。
酒井一臣00