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Public Schools Act
ニューサウスウェールズ公立学校法
初等教育における宗派学校と公立学校の二重教育行政を改革し、ひとつに統合された教育行政で学校を運営していくことを目的とした公立学校法は、1862年のヴィクトリア植民地を初めとして各植民地で成立した。ニューサウスウェールズで公立学校法が成立したのは1866年である。
ニューサウスウェールズ公立学校法(以下公立学校法)は、ジェームズ・マーティン内閣の下で成立した。ゴールドラッシュ以降の社会変動の中で生じた、生徒数の増加や浮浪児への対応のため、教育改革3法案(他は授産学校法と矯正学校法)の一環として作られた。公立学校法によって、それまでの宗派教育委員会と国民教育委員会が廃止され、キリスト教の各宗派が設立した学校と公立学校を一括して管理する教育審議会が設けられた。委員長には、法案成立に貢献した政治家ヘンリー・パークスが、秘書官にはその教育思想が取り入れられたウィリアム・ウィルキンズが就任した。教育審議会の監督下で、学校調査官の制度や教師の教育など、教育行政の一元化を目指した取り組みがなされ、後の公教育の成立への足がかりとなった。
山崎雅子0601