Loading
Prince Alfred, Duke of Edinburgh
プリンス・アルフレッド、エディンバラ公
1844-1900
ヴィクトリア女王の次男。
オーストラリア植民地を旅行中の1868年3月12日に、シドニー近郊クロンターフClontarfで暗殺未遂事件に遭い、負傷した。イギリス王室の一員としては初めてのオーストラリア訪問での出来事であった。怪我はすぐに回復したが、犯人である、アイルランド生まれのヘンリー・ジェイムズ・オファレルは一時、革命的なナショナリストの組織であるアイルランド共和主義者協会の一員、すなわちフェニアンズの影響を受けたと供述した。事件がフェニアンズと関係していると考えたニューサウスウェールズ政府は、不敬な言葉の使用を禁じるなどの厳しい措置を含む反逆重罪法を、1868年3月19日に通過させた。裁判にかけられたオファレルは有罪となり、エディンバラ公の助命の努力にも関わらず、1868年4月21日、ダーリングハーストの刑務所で処刑された。
石光崇昭0501