Primary industry
第1次産業
オーストラリアで、最も早く生産された農産物は、第1船団の到着後間もなく、シドニー周辺に設立された政府農場によるものである。トウモロコシや大麦も栽培されたが、主要な作物は小麦であった。
刑期を終えた流刑囚やその他の移住者は、初期の植民地における慢性的な食糧不足を緩和するために、耕作に従事することを奨励された。1791年、それまで囚人であったジェームス・ラスは、パラマッタの近くに土地を得て、民間による最初の農場を始めた。政府の農場も次第に民間に譲り渡され、1810年からは植民地で必要な食料は全て民間の農場により供給されるようになったのである。
こうした初期の段階から成長し、オーストラリア経済において重要な地位を占めるようになった作物が、小麦である。小麦の栽培に内陸部が適していることが証明されたので、シドニーから入植者が各地に広がるにつれて、主要作物として普及したのである。特にニューサウスウェールズは、牧羊が発展するまで19世紀前半には主要な小麦生産地帯となった。しかし、南オーストラリアやヴィクトリアが世紀中葉には小麦の主産地として台頭する。当時、オーストラリアにおける小麦栽培は、その気候に起因するさび病に悩まされていた。しかし、ニューサウスウェールズで家庭教師や測量官をしていたウィリアム・ファラーは、この病気に対して抵抗力がある小麦を生み出した。彼の改良した小麦は、世紀転換期頃から栽培されるようになり、19世紀後半には南オーストラリアに押されていたニューサウスウェールズを一大小麦生産地にしたのである。
小麦栽培増加の少し後には、大規模な酪農も始まった。特に、1870年代に、冷蔵設備が導入されると、海外市場への輸出が可能となった。また、切り株飛ばしすき等の耕作機械の出現、鉄道の拡張も、酪農の発展に寄与し、20世紀になると、タスマニア、ヴィクトリアの一部、ニューサウスウェールズの海岸地帯が、酪農地帯として発展したのである。
牧畜は、羊を中心に発展し、1820年代に、ニューサウスウェールズ西部の平原が開かれるのにともない広まった。初期の牧羊における成功は、湿潤な海岸地帯に代わり、南アフリカとヨーロッパから持ちこまれたメリノ種の羊により適した、内陸の乾燥地帯が発見されたことによる。開拓が進むにともない、羊の導入も進み、1830年代中期までに、牧羊は、主に羊毛によって、オーストラリア最大の輸出産業になった。羊毛の最大輸出先はイギリスであり、産業革命における毛織物工業の発展にも寄付した。1850年代のゴールドラッシュは、牧羊業における労働力不足を引き起こしたが、人口増加により需要も増大した。
さらに1860年代に、牧場の囲いが一般化することで、牧草地の管理と羊の品種の管理が改良された。羊の頭数も、1825年に24万頭程度であったものが、1890年代までに1億頭程度、19世紀末には1億5千万頭程度にまで増えた。しかし、羊毛は、最大の輸出産業としての地位を鉱業に譲った。畜牛の飼育も、クィーンズランドやノーザンテリトリーを中心に発展した。当初は、イギリスから導入した品種を飼育したが、20世紀の半ばまでにはいくつかの品種を試し、重要な輸出産業に成長した。
オーストラリアにおける鉱業は、1790年代に、ニューカッスル地方とシドニーの南で石炭が発見されたことで始まり、1801年には、南アフリカに輸出された。石炭は、運輸業や製造業など、他の産業にとっても重要であったため、政府が強力に干渉した。石炭産業は、最初は1947年にニューサウスウェールズで、その後間もなくクィーンズランドで設立された連邦・州合同の石炭管理委員会joint federal-state coal boardsの規定に従うことになった。その他の鉱業も古くから始まっており、南オーストラリアで銅が、シドニー近郊のミタゴングで鉄が、1840年代に発見されている。
ゴールドラッシュの影響により、1850年代には、金が一時羊毛を抜いてオーストラリア最大の輸出品となり、経済の転換に大きな影響を与えた。その後、鉱物資源の輸出は、1890年代に再び、羊毛に取って代わり第1の輸出産業となった。
1960年代初頭には、世界的にエネルギー需要が高まり、オーストラリアの鉱物資源はより重用されるようになり、再び最大の輸出産業となった。鉄鉱石、ウラン、石炭、ボーキサイト及び主に国内市場向けである石油・天然ガスは、より重要な地下資源になったのである。
浅野敬一 01