オーストラリア辞典
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Pre-federation prose

連邦成立以前の散文



 19世紀のオーストラリア散文は、イギリスを故郷、オーストラリアを一時的を逗留地とみなすものが多かったが、オーストラリア生まれの人々が数的に優勢を占めるようになった1880年代になると、徐々にテーマが拡大し始める。しかしながら、フィクションの分野では、20世紀に入ってもイギリスの冒険家の舞台としてのオーストラリアのイメージは残り続けた。

 19世紀中葉にいたるまで、流刑が初期の歴史的作品や最初のフィクション作品のテーマを提供していた。そうした作品は、帝国植民地における生活を、イギリスの読者に伝えることを強調していた。オーストラリア社会はその後、いくつかの変化を経験する。アンソニー・トロロプの時代までには、自由移民が大半を占め、オーストラリア社会も、流刑の時代にはなかった恒久的な性格を帯びるようになった。植民地生活の変化は、アレクサンダー・ハリスのConvicts and Settlersで巧みに描写されている。

 初期の頃のオーストラリアのフィクションは、大半が自叙伝体で描かれており、その全てが小説と呼ぶには疑わしい性格のものだった。しかしながら、1850年代に入り、ゴールドラッシュが始まると、小説は文学作品としての形式を整えるようになる。この時代、オーストラリアのイメージはたいていはロマンティックなものであった。作家には、ヘンリ・キングズリー、ジョゼフ・ファーフィ、トマス・アレクサンダー・ブラウン(ロルフ・ボウルダウッド)がいる。

 このロマンティックな傾向の中で、最も顕著な例外はマーカス・クラークである。彼はその作品の中で流刑地であったオーストラリアの現実を描き出している。クラークのようにリアリズムの傾向を持った作家では、キャサリン・スペンスも知られるが、彼女にはクラークほどの力強さはない。またあまり知られてはいないが、この時代の小説家としてエイダ・ケンブリッジAda Cambridge、ローザ・プレイドRosa Praedも挙げられる。

 1880年に創刊された『ブレティン』紙は、オーストラリア文学のもう1つの伝統を作り出した。作家の多くはイギリスの読者の要求に応えようとしていたのだが、ブレティン派の作家は、古いロマン派の伝統と並行して現れた、オーストラリア・リアリズムへも向かった。その新しい傾向は、国民意識が形成されるなかで生じたもので、この時代にはオーストラリア生まれが人口でも大きなグループを形成するようになった。

 中村武司01