Port Albert
ポート・アルバート
ヴィクトリアの中南部、メルボルンの南東229キロに位置する。
人口:248(1996)、267(1981)、333(1954)、131(1933)、415(1891)、126(1854)。
初期にはニュー・リースNew Leithと名づけられていたが、1841年にヴィクトリア女王の夫君の名に変更された。白人の入植以前は、ガナイあるいはBoonwurrungのアボリジナルの人々の居住地であった。ギップスランドの最初のタウンであり、1870年代まで東ギップスランドにとって唯一の重要な港であった。アンガス・マクミランは1841年に、この地域での最初のヨーロッパ人入植者となった。1842年に牛が港から初めて搬出された。1842年に建設されたポート・アルバート・ホテルはヴィクトリアで最も古いものの1つである。現在の建物は1858年に建てられた。起源となる入植地はオールド・ポートOld Portとして知られ、現在は放棄されている。
ニュー・リースと呼ばれる新しい入植地は1844年に設立された。オウミーオウでの金の発見に続いて町は成長し、ポート・アルバート蒸気船会社が金鉱地帯に物資を提供するために結成された。1850年代には税関が設置された。移民収容施設は1857-58年に建てられた。クライスト教会は1858年に建てられた。ヴィクトリア銀行は1861年に開業し、ウォルハラWalhallaやオウミーオウなどで採掘される金を買い取った。現在、海洋博物館となっている。郵便局は1864年に建てられた。港の貿易は1850年代から1860年代にピークを迎え、ギップスランド・レイクスの航路が開発された1864年から衰退した。そして、メルボルンからセイル間の鉄道が開通した1879年以後、その衰退は明白となった。
北部のアルバートンAlbertonはギップスランドの行政の中心で、タウンにはヴィクトリア最初の学校が建てられた。上記の建物に加え、ボンド・ストア(1852)や郵便局(1864)、ダーウェント・ホテル(1858)など古い建築物が多く残る町でもある。この他、ギップスランドで最も古い教会が1856年に材木と平板でタラヴィルTarravilleに建てられた。1851年のタラヴィルはギップスランドの最大のタウンで人口219人であった。
真水晃・藤川隆男0403