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Pinjarra
ピンジャラ
西オーストラリア南西部、パースの南87キロに位置する。
人口:1,892(1996)、1,336(1981)、95(1881)。
町の名は、この地域のアボリジナルの言語であるニュンガーの言葉で、付近の低湿地帯を指す言葉が訛ったものだとされている。1829年にアレクサンダー・コリーなどによる探検の後に、1830年代にタウンとして成立する。しかし、地域の先住民の抵抗は続いた。1834年の「ピンジャラの戦い」に際し、当時の総督スターリングは、ここに騎馬警官隊用の兵舎を建設した。その目的は、スワン川上流とマリー川Murray River周辺に住むアボリジナルの間に「楔を打ち込み」、アボリジナルの敵対行為を停止させ、より多くのヨーロッパ人入植者を、トマス・ピールのマンジャラMandurahやピンジャラの土地に誘致することであった。警官殺害に対する報復として、少なくとも14人のアボリジナルが射殺された。これはピンジャラの虐殺として知られており、アボリジナル側は多大な犠牲者を出した。1838年に町は区画され、40年代にはマリー川入植地の中心となった。セント・ジョンズ教会が1845年に建設された。1891年に鉄道が開通。1974年、アルコアは、ダーリング山地のボーキサイトを精錬する工場を設立した。アルコアのアルミニウム精錬施設は現在も存在し、ツアーにより見学することができる。ロッキンガムやマンジャラのような人口の多い都市から数キロの位置にある。
津田博司1001