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Piesse, Edmund Leolin
ピース、エドマンド・レオリン
1880-1947
ホバート、タスマニア生まれ。
法律家、官僚。
ヒューズ内閣での対アジア・太平洋地域の政策立案の責任者。
タスマニア大学、ケンブリッジ大学で法律を修め、1909年より政府の情報機関で働き、第1次世界大戦中の1916年には参謀本部の情報局長、1920年からは首相府のアジア太平洋室長を務めた。ピースは一貫して極東の情報収集の重要性を訴え、1919年末には来日し、日本の対外進出に対するオーストラリアの過剰反応を批判した。また、白豪主義に関しては、白人労働者保護の観点を強調する方が、国際的には有利であるとして、移民制限の緩和を提唱したが、ヒューズ首相と衝突し、1923年には政府から身を引いた。
1930年代になって、日本の軍国主義的政策があらわになるにつれ、ピースは再び活発な言論活動を行い、日本に対する正確な知識に基づいたオーストラリア独自の防衛政策の推進を主張した。また、法律家としての活躍も続け、1942年から44年にかけて、ヴィクトリア州の法律協会の会長に就任し、法律関係の著作や論文を多数残した。
酒井一臣00