オーストラリア辞典
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Petrov affair

ペトロフ事件


冷戦中、ソ連の駐豪書記官の亡命にともない発覚したスパイ事件。Petrov Caseとも呼ばれる。


 1954年4月3日、キャンベラにあるソ連大使館に勤務していた3等書記官ウラジミール・ペトロフVladimir Petrovがオーストラリアへの亡命を申請した。同時に、ペトロフは、オーストラリアのソ連大使館が、ソ連のスパイ活動に利用されていたことを示す書類を、オーストラリア保安情報局ASIOに提出した。4月14日、翌月に連邦選挙を控えていた議会最終日、メンジーズ首相は事件を公表した。4月20日、ソ連側は、ペトロフの妻で同じく書記官であったエフドキアEvdokiaを海外に逃亡させようと目論んだが、飛行機が出発する直前に阻止され、エフドキアも亡命を申請した。メンジーズ首相は、ソ連のスパイ事件を調査するための王立調査委員会の設置を命じた。この事件によって、ソ連とオーストラリアの国交は断絶し、1959年まで断絶は続いた。ペトロフ事件の影響もあり、メンジーズは選挙に勝利し、再び政権に就くことができた。1955年に調査委員会は報告書を発表。それによると、ペトロフの提出した文書は信頼できるものであり、1945年から48年の間、外務省からソ連側に情報が漏れていたことが明らかになった。事件はオーストラリア国民の強い関心を集めた。自身の2人の秘書にも疑いがかけられた労働党党首のエヴァットは、選挙の直前に事件を公表したメンジーズのやり方を選挙目的として非難した。

 ペトロフ事件は、オーストラリア国民に大きな衝撃を与え、後に生じるオーストラリア労働党の分裂の引き金になったといわれている。

 三木一太朗01