オーストラリア辞典
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Penrith

ペンリス


ニューサウスウェールズ中東部、シドニーの西約50キロ、ブルー・マウンテンズの西のふもとに位置する。
人口:135,342(1986)、108,720(1981)、27,461(1961)、17,924(1954)、4,962(1947)、2,452(1911)、416(1851)。


 現在はシドニーの一部である。1818年、おそらくマクウォリー総督が、イングランドのカンバーランドの町にちなんで名づけた。かつては先住民ダルグDharug(Dharuk)が居住していた。1789年ワトキン・テンチが、近くのネピーアン川を探検している。川の東の土地交付は1803年、西は1806年に始まる。1815年ブルー・マウンテンズ越えの道路が開通し、裁判所と監獄が建築された。ブッシュレンジャー、ジョン・ドナフー(ボールド・ジャック)が、1820年代この地域で活動した。また、マッカーサー家が最初の商業生産を目的とするブドウ園を設立したのも、この時代である。1856年ネピーアン川に橋がかかり、1863年鉄道が開通した。鉄道の開通により、シドニーの通勤圏の西の端に位置するようになったが、自動車交通の発達まで、その発展はゆっくりとしたものであった。オーストラリアに養蚕業を起こそうとする試みは失敗した。1871年自治体となり、1881年にタウン・ホールがオープンした。1911年空港が開業し、1912年にハーツ航空学校が開校した。1959年、シティとなる。1966年にナイロン工場が造られる。少し北のカースルレイは、1810年総督マクウォリーによって建設された。1812年オーストラリア最初の中等教育学校がここに建設され、1817年にオーストラリア最初のメソジスト教会が建てられた。

 現在シドニーの郊外の住宅地として急速に発展している。パンサーズ・ワールドはオーストラリア最大のクラブ(エンターテインメント・センター)である。そこでは、ミニチュアの蒸気機関車に乗ることができる。約5万年前のアボリジナルの石器が近くで発見されている。

 藤川隆男0403