オーストラリア辞典
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Pearce, George Foster 

ピアス、ジョージ・フォスター


1870-1952 
マウントバーカー、南オーストラリア生まれ。
連邦上院議員(1901-38)。 


 1870年に南オーストラリアのマウント・バーカに生まれ、レッドヒル・パブリックスクールで教育を受けたが、11才から農場で働くこととなった。その後、南オーストラリアのメイトランドで大工の見習いとなり、1892年に西オーストラリアへと移り、1899年にはパース職人労働組合評議会の代表となった。彼は1901年の連邦議会の第1回選挙で労働党から上院議員に選ばれ、1937年まで議員として活動した。1908年には労働党のフィッシャー内閣の防衛大臣となり、1910年に労働党が再び政権を得た際にもその地位についた。ピアスは1922年までの大部分の期間その職にあり、ダントルーンの王立陸軍士官学校の設立や、オーストラリア海軍RANの結成に携わった。

 ピアスは、1916年の徴兵制を巡る問題で労働党を離党し、残りの政治生活を保守系の政党のもとで過ごすこととなる。1921年から翌年にかけてはワシントン会議のオーストラリア代表となり、22年に防衛大臣を退いた後も、1926年まで国務及び連邦領担当大臣、26年から29年まで行政評議会の副代表を務めるなど大臣を歴任し、32年から34年までは再度防衛大臣の職についた。35年からは外務大臣を務めたが、大臣在職中の37年に、派閥争いと徴兵制に対する立場が原因となり議席を失うこととなった。議席を失った後も、戦時中に防衛省の活動委員会のメンバーに名を連ねるなど、政治的な活動を行った。1939年に西オーストラリアからメルボルンのブライトンに移り、1952年にその地で生涯を終えた。

 水田哲朗1101