オーストラリア辞典
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Orr Case

オー事件



 1950年代から60年代にかけておきたオーストラリア人学者の有名な訴訟事件。これに巻き込まれたシドニー・スパークス・オーSydney Sparkes Orr(1914-66)は、1952年にタスマニア大学の哲学教授に任命された。給料や労働条件のような問題に関する大学当局への不満が長く続いた。1954年10月29日に『マーキュリー』紙に掲載された、オー教授と他の35人のスタッフによるタスマニア総督への公開書簡によって、その不満は最高点に達した。タスマニアの王立調査委員会が設置され、1955年6月の報告書はすべての関係者を批判し、大学評議会を再編成するよう要請したが、それについてはほとんど何も行われなかった。

 1956年3月16日に、大学はオー教授を免職にした。理由はさまざまな罪、特に彼の生徒であるスザンヌ・ケンプへのセクシャル・ハラスメントであるとされた。この事件は、保守的なタスマニアにスキャンダルを引き起こした。彼は不当な解雇を訴えたが、タスマニア最高裁判所は1956年10月に、彼のセクシャル・ハラスメントの違法性を認め、解雇は正当だとした。

 オーは次に連邦最高裁判所に訴えたが、1957年5月に事件は棄却された。オーストラリアの大学人たちのこの事件についての意見は分裂した。1958年8月に、オーストラリア哲学者協会は、彼の後任につくことを禁じた。著名な教会指導者たちは彼を支持した。彼の支持者たちは、ケンプへの攻撃を始めた。オーストラリア大学職員組合連合は独自の調査を指示し、大学はオーに当然の正義を認めず、最高裁判所の判断は間違っていると1961年2月に決議し、大学を非難した。1966年2月、大学はオーに16,000ポンド余りの和解金を支払ったが、彼の再雇用は拒否した。オーは健康を害し、1966年7月に死亡した。

 山口典子00